足尾鉱毒・北海道移住100年

by ihst | 1月 4th, 2011

 足尾鉱毒事件は、明治・大正・昭和と続いた日本近代史の一大社会問題であった(現在も山林破壊は復旧していないので、平成もといって良いが)。ここには、日本の近代化そのものの発展過程のプロセスが凝縮されているし、科学や技術が社会のメカニズムの中でどのように機能していくのか、そして科学者や技術者が何をなした(なしえた)のかが、浮かび上がってくる。 
 当時政府は、農業と農民被害を鉱毒による被害としてではなく、「自然的な」洪水問題、社会問題ではなく治水問題として処理しようとした。鉱毒を解決するのではなく、渡良瀬川、巴波川、そして思川の合流する谷中村に遊水池をつくり村民を移住させることで被害者そのものを「除去」しようともした。
 強引に村を買収、合併による廃村を進めた結果、農民たちは離散、移住を余儀なくされた。
 1911年栃木県の斡旋によって、谷中村や、鉱毒の被害を受けた下都賀郡南部8町村の66戸200余人は、集団で北海道佐呂間町に「栃木団体」として移住した。
 それから、今年は100年である

  「東京新聞」TOKYO Webが、この問題を連載している。http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20110103/CK2011010302000045.html
  1月1日 近代化の波 地域のみ込む 公害問題の原点が集約
       鉱毒を忘れず 谷中村民の北海道移住100年<1> 先祖への思い(1月1日)
                            <2> 地名の重み(1月3日)      
                            <3> 知られざる人々(1月4日)

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