足尾鉱毒被害・北海道移住100年

by ihst | 1月 7th, 2011

 日本公害問題の原点、足尾鉱毒問題は、明治大正昭和の3世代に続いた(現代でも山林破壊は完全には修復できていない)、日本近代史の一大社会問題であったし、現在も問題を残している。ここで、社会の中で科学や技術がどのように機能するのか、政治家だけでなく、科学者や技術者が何をなしうるのかが、深く問われてきた。 鉱毒による被害を正面から取り組まず、「自然的」な洪水による被害として処理しようとして当時の政府は、渡良瀬川、巴波(うずま)川、思川が合流する谷中村に遊水池を設けるために強引に村の買収をすすめた。 その結果、村民は離散、移住を余儀なくされた。栃木県の斡旋で、谷中村や下都賀郡南部8町村の66戸200余人は、北海道佐呂間町に、「栃木団体」として集団移住した。1911年のことで、今年は、それから100年。 東京新聞が、これを取り上げて連載している。(東京新聞 TOKYO Web)
 

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