東電、黒塗り手順書を出しながら「反論」

by ihst | 9月 16th, 2011

東電は事故の際の手順書を黒塗りにして提出、事実を隠蔽する姿勢を露骨に見せながら、TBSの番組「震災報道スペシャル 原発攻防180日間の真実」対して「事実の解明を待たずに批判するな」とホームページに反論を掲示している。→http://www.tepco.co.jp/cc/kanren/11091301-j.html

 しかし、まず反論するなら、データを隠蔽せず客観的な批判にたるよう公開すべきであろうし、下記3点の論点も反論になっていないのは、一目瞭然である。こうした東電の姿勢は、ますます反社会的な体質を明らかにしているだけである。

<以下 東電 の反論>
.「ICの操作も含め、停電しても適切に対応すればメルトダウンも水素爆発も防げた」と断じていますが、これらの原因やメカニズム、ICの操作等の詳細などについては、現在、国の事故調査・検証委員会などで調査が進められております。
 そうした中で、事実の解明を待たずに、推定や憶測などによって、「人災」と結論づけた報道がこのたびなされたことは甚だ遺憾であり、誤解につながる可能性が大きいと言わざるをえません。
   <投稿者注 ならば事実を早急に解明するために資料を出したらどうですか>
.「ベント弁の手動操作の指示が遅かったことにより、ベント実施に時間がかかった」との報道がなされていますが、3月11日午後11時50分頃、全電源喪失により不明となっていた格納容器圧力を小型発電機の接続により把握できるようになった後、速やかに発電所長は現場での手動操作を含めたベントの準備を進めるよう指示しており(3月12日午前0時6分頃)、指示が遅かったということはありません。ベントの現場操作のために出発するまでの間は、国にベントを提案し、了解を得るとともに、作業手順や現場線量、作業時間の確認、周辺被ばく線量評価の作成・連絡、住民避難状況の確認を行っており、時間を要しました。すなわち、ベント操作を実際に開始したのは、大熊町(熊地区)の避難完了を確認した後の12日午前9時過ぎでした。また、現場の作業は、大変高い放射線量の下であったため、作業員が交代で作業しなければならず、また、電源が喪失しているため暗闇での作業を強いられることとなりました。さらに通信機能も喪失しており、作業員相互あるいは作業員と本部との連絡が極めて困難な状況であり、そうした中で全力を傾けていました。
  <投稿者注 努力をしたということは、、(にもかかわらず)結果的に遅れたということの弁解にならない。客観的な事実が問題>
3.当社が現場からの全面撤退を考え、それを国に伝えたという報道がなされていますが、そうした事実はありません。すなわち当社が国へ申し上げた趣旨は「プラントが厳しい状況であるため、作業に直接関係のない一部の社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい。」ということであります。
 なお、この点について、4月18日と5月2日の参議院予算委員会で、菅総理(当時)は「社長にお出ましをいただいて話を聞きました。そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだということを言われました。」(4/18)、「ある段階で経産大臣の方から、どうも東電がいろいろな状況で撤退を考えているようだということが私に伝えられたものですから、社長をお招きしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりはないけれどもという話でありました。」(5/2)と発言されています。これは、当社が認識している事実関係と一致するものと考えています。
<投稿者注 管首相の説明は、経過のはじめと終わりをくっつけただけとも解釈でき、反論になっていない。他にも同様の報道がある。何よりも、この間の経過のデータを全面的に公開すべきであろう。そうすれば、事態が白日のも下に晒されよう。手順所さへ出さず、一方的に東電のいうことを心事よと言っても、これまでの数々の隠蔽で国民は信頼していないと言うことに、東電はまだ気づいていないのであろうか。それとも、さらに強引に隠蔽を続けようということか。隠蔽にはさらなる隠蔽か。>

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