水俣病と科学論技術論

2010.7.16 大阪地裁は水俣病認定判決で、国の認定基準を否定した。「水俣病の診断で検討するべき事柄は唯一症状の組み合わせに限られたものではない。組み合わせがなくても水俣病と考えられる可能性はさまざまで、水銀を体内に取り込んだ状況などを総合的に考慮することで水俣病と認める余地がある」というわけである。 これは患者救済の根幹にもかかわる問題の正しい判断であるが、科学論的にも重要な事件としてみるべきであろう。                                                                                          水俣病はこれまで科学との関係で多くの議論がされてきた。科学の係わり方には、大きくは2つの側面があった。一つは、原因物質にかかわる問題(チッソ水俣工場からの有機水銀か、他のたとえば「腐った魚」のアミンかなど)と、もうひとつは水俣病そのものの科学的な同定や認定基準である(胎児生水俣病も含めて)。もちろん、たとえば「アミン中毒と水俣病患者の症状は一致するのか」とか「患者の症状から水銀が疑われてくる」など両者は表裏の問題であることは自明であったが、社会的事象としては別々な議論や対応を余儀なくされたりもした。                                                                             周知のように、水俣病の発見の初期にあっては、水俣病の同定には、いわゆるハンター・ラッセル症候群が用いられ、感覚障害など5つの症候があって始めて認定できるとされた。やがて熊本大学をはじめとする医学研究者による患者の実態研究と治療経験から、水俣病はハンターラッセル症候群とは異なる水銀中毒であることが解明されてきた。しかし行政的には国は企業擁護の立場からそのような立場を回避、患者を拾い上げ救済するのではなく逆に認定数を少なくするとでもいうような、水俣病の認定基準をつくってきたと批判されてもいる。1970年の認定基準ではハンター・ラッセル症候群的発想によっており、71年基準では、緩和されたものの、1977年には2つ(以上)の症状がなければならないとした。この認定基準は、2004年10月のいわゆる水俣病関西訴訟の最高裁の判決で否定され、国は敗訴した。にもかかわらず、国(環境庁)は、最高裁判決には従わないとして従来の行政を継続した結果、今回判決に至る訴訟を招いたのである。新聞報道によれば、国(環境省)幹部は、「今度の判決に憤り、判決はまだ地裁レベルで上級審では覆る」と考えているという(「朝日新聞」20107.17第14版2面)。

 熊本県も、22日大阪高裁に控訴、さらに争いが続く(国も同調の様子)ことになった。昨年成立した水俣病の新救済法の実施を根本から揺さぶることになるからである。行政的には水俣病問題に終止符をうち、チッソの「再建」を軌道にのせたいという思惑もある。これが頓挫する可能性を、判決はもっている。                                                                                         水俣病の原因解明と、患者拡大の防止という点でも国と県は企業側に立ってきたことは。「すべての水俣湾の魚が有毒化しているという明らかな証拠はないから食品衛生法を適用できない」という、有名な厚生省公衆衛生局長の通達や、通産省幹部の「チッソ(からの工場排水)は止められなかった。(チッソ擁護の産業政策は)確信犯だった」という回顧(NHK番組)などで明確なように、国は原因究明を妨害してきた事は歴史的に否定できないであろう。最新の 『科学史研究』(第49巻夏号(No254)には、すでに究明されていることではあるが、「水俣病総合調査研究連絡協議会」は、有機水銀説をあいまいにする役割を担ったとの論文が掲載されている。                                              

  こうした、社会の中で、ある勢力が科学的な原因究明や治療を妨害するような現象を、著者は社会の中における「科学の存在形態」、あるいは社会の中で科学はどのように機能するかという問題に鋭く係わる問題として捉えてきた。科学史技術史的にも、水俣病をどのように記述すべきかは大きな課題である。                                                                                      近年、Steve Fullerのgovernance of Science 論を援用して、水俣病を科学の「ガバナンス論」から見て、国はガバナンスに失敗したと論ずる向きもある(藤垣祐子編『科学技術社会論の技法』2005。ガバナンス論自体の近著では城山英明編『科学技術ガバナンス』2007もある)。しかし、ガバナンス論はいかにも「上から中立的に」科学を行政的にうまく統御しようと思えばできるのだが水俣病では失敗した、というように聞こえかねない(著者の意図は理解できるが今ひとつ不満)。『科学史研究』の最新号(第49巻夏号(No254)には、すでに究明されていることではあるが、「水俣病総合調査研究連絡協議会」は、有機水銀説をあいまいにする役割を担ったとの論文が掲載されている.

   問題は、一つには、水俣病をめぐっては国は決して中立的な対応をしてきたのではないことの位置づけである。国は「事件」の一当事者として事に対応しており、ガバナンス論は、この国の行為者としての認識をあいまいにしかねない。                                                                二つめには、さらに重要なことであるが、水俣病の「科学」は、それ自体が社会的関係(諸社会団体)から抽象されて「科学自体」としてガバーンされてきたわけではないということである。水俣をめぐる諸利害関係・国や企業の政策の遂行に付随して「科学」にかかわる行動・行政が発生したのである。つまり先に「科学」に対してどのようにすべきかと考えているわけではない。この点をしっかりしておかないと、「御用学者」の発生や原因をめぐる「科学論争」なるもの、あるいは諸医学・薬害・公害事件に対する行政を解明することはできない。今回の、国や熊本県の行った「迅速な」控訴も、医学的にみて大阪地裁の判決(認識)が不満だからではなく、そのような判決であれば今年5月から始まった新救済法が頓挫し、さらに膨大な救済資金を出すのが嫌だからである。科学は、それ自体で一人歩きはしない(技術はなおのこと。)(ついでに言えば、科学社会論や科学技術社会論の多くが、科学と技術を十把一絡げに議論している。)  事の本質を見極めるのに、社会的事象に付随するものとして認識するかどうかが分かれ目ではなかろうか。ガバナンス論は行政の免罪に通ずるものにはならないか。表現を変えれば、社会内の物的・人間的諸関係を分析することによって「科学の役割と動向」を見ることが必要ではないか。論争になるよう、あえて論争的に表現したが御寛容を願う次第である。(木本忠昭7.26記)、

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