科学技術と科学・技術をめぐって
高橋智子(山梨大学医工学研究部)
日本学術会議の提言と勧告
すでに多くの方が知っていると思いますが、日本学術会議は2010年4月5日に「日本の展望 学術からの提言2010」を公表しました。これは「21世紀の人類社会および日本社会にとって喫緊の課題である持続可能な社会の構築を展望して、人文・社会科学、生命科学および理学・工学の全ての諸科学を包摂する「学術」がその総合力をどのように発揮すべきであり、することができるかについての学術からの提言」であると言います。日本学術会議は2005年に創設以来の7部制(第1部文学、哲学、教育学・心理学、社会学、史学、第2部法律学、政治学、第3部経済学、商学・経営学、第4部理学、第5部工学、第6部農学、第7部医学、歯学、薬学)から三部制(第一部人文・社会科学、第二部生命科学、第三部理学・工学)に編成替えされており、ここで使われている「人文・社会科学、生命科学および理学・工学の全ての諸科学」という表現は、全ての学術分野を包摂しているとしています。ところで、分野別の史学委員会の科学・技術の歴史的理論的社会的検討分科会の委員長は本研究所の木本理事長でしたし、本研究所の多くの理事が連携会員としてそれに加わっておられますので、この分科会での議論を別途聞くことができればよいなとも思います。
さて、「展望」の第1章には、「学術」という概念について次のように書かれています。
日本学術会議は、「学術」の概念を本提言に際して最も基本的な概念として位置づける。「学術」は、「科学技術」(science based technology)、「科学・技術」(science and technology)より広く、人文・社会科学を含み、全ての分野における知的な創造的活動の総体を総合的に示すものであり、21世紀の人類社会の課題解決のためには、諸科学の総合としての学術の一体的取組みが不可欠である。従来の「科学技術」は、学術の全体的発展を追求する中に位置づけられねばならない。
そして第4章では、「科学技術」について次のように述べられています。
これまで推進政策のもっぱらの対象とされた「科学技術」は人文・社会科学を除外し、「科学を基礎とする技術」を主とする応用志向の強いものであり、今後「科学技術」に代えて、より広範な「学術」の概念が政策体系の中心に位置づけられるべきである。21世紀の人類社会の課題に応えるべく学術の長期的、総合的振興を図り、その中で「科学技術」の推進を明確に位置づけることにより、科学技術立国の実現を目指すべきである。
この提言を受けて日本学術会議はさらに踏み込んで「勧告 総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」を8月25日に提出しました。それは「展望を踏まえつつ、人文・社会科学を含む長期的かつ総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興を期して、総合科学技術会議の在り方の改善方策に係る具体的検討に寄与するため、この勧告を行うもの」で「1.法における「科学技術」の用語を「科学・技術」に改正し、政策が出口志向の研究に偏るという疑念を払拭するとともに、法第1条の「人文科学のみに係るものを除く。」という規定を削除して人文・社会科学を施策の対象とすることを明らかにし、もって人文・社会科学を含む「科学・技術」全体についての長期的かつ総合的な政策確立の方針を明確にすること。」であるとしています。
すでにお気付きの方も多いと思いますが、昨年来、政府文書の中にも「科学・技術」という用語法が使われ始めています。これまで「科学技術」といういわば「官庁用語」に固執してきた官僚や「識者」、ジャーナリズムの中にも変化が生じてきているように見えます。科学史、技術史、科学論、技術論等を専門とする研究者にとっては、対象たる学問の定義に関わる問題であり今更の感がなくもありませんが、「科学技術」の用語法が果たした役割や機能とそれから生じた問題は少なくなかったと思います。総合科学技術会議の設置でも「科学技術、科学・技術」が議論されましたが、その時の有識者(常勤議員)の一人は「不毛の議論であった」と述べたと言われます。また「「科学技術」の語源と語感」(平野千博1999.8)では「科学技術が獲得するに至った語感とその現代的意義」として、外国にはない優れた用語法だと称揚されています。実際に科学技術リテラシーや科学コミュニケーションのジャンルでは「科学技術」が好んで使われており、勧告が広く受け入れられるのか否か、特に法曹界やマスコミがどう受けとめるのかなど、課題は少なくないと思われます。
文科省設置法と旧文部省設置法をめぐって
文部科学省設置法には(任務)第三条で「文部科学省は、教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツ及び文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする。」という規定があります。学術と科学技術が併記されているので、当然その2つの用語の、意味内容は異なっているわけですが、それぞれの定義はどこにもありません。旧科学技術庁と合併したことによって自動的に科学技術が追加されたわけです。ところで旧文部省設置法では(任務)は第四条になっており「文部省は、学校教育、社会教育、学術及び文化の振興及び普及を図ることを任務とし、これらの事項及び宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする。」と規定されていました。そして第1章総則(定義)第2条8項に「学術とは人文科学及び自然科学並びにそれらの応用をいう。」と明確に規定されていました。文部科学省設置法では旧科学技術庁関連の規定が大量に取り込まれ「それらの応用」が詳細に規定されました。第4条は95項目にもおよび、その大半は「科学技術」の規定で「科学技術に関する基本的な政策の企画及び立案並びに推進に関すること。」「科学技術に関する研究及び開発に関する計画の作成及び推進に関すること。」「科学技術に関する関係行政機関の事務の調整に関すること。」「科学技術に関する関係行政機関の経費の見積りの方針の調整に関すること。」などと細目が規定されています。そして申し訳程度に「学術の振興に関すること。」が挿入されています。文科省の予算編成や各種研究費予算もこの枠組みに縛られており、「政策が出口志向の研究に偏る疑念」の根源となっていると言えます。
科学技術新体制確立要綱
1940年9月に科学技術新体制確立要綱原案が科学技術の国家統制をあらわにした形で提出されると、さまざまな方面から批判が噴出し、石原純などが「科学と技術の交流」で研究統制にいちはやく反対したこともよく知られています。しかし翌41年5月には国家統制をやや隠した形で閣議決定をみました。「科学技術」の用語法はこれを前後して始まるとされています(大淀昇一『宮本武之輔と科学技術行政』1989)。ここではこの議論には立ち入りませんが、本研究所山崎文庫の山崎俊雄先生がその著著『技術史』(1961)で、科学が資本を媒介に技術化されて生産力になるのは当然のこととして、当時一世を風靡した科学主義工業や科学技術新体制確立要綱を批判して次のよう書かれていることを改めて確認しておきたいと思います。
「戦時における国家資本の結合の強化、独占資本に対する国家の役割の拡大によって、科学と生産との計画的結合が可能であるかのように信じさせることは、日本資本主義が目ざした合理化運動のひとつの目標であった。戦時中の「科学技術」という、科学と技術のあいまいな使い方の流行も、原因はじつにそこにあったのである。生産関係にしばられて、学者の良心や軍当局の命令ではテコでも動かない「技術」と、日本民族のすぐれた頭脳をもってすれば無限に発展させうる「技術学」とは、もとより本質的にちがうのである。技術の進歩を左右する生産関係に目を閉じさせることも、合理化運動のもうひとつの目標であり、暗い谷間といわれるゆえんはそこにあった。自然科学は振興するが、社会科学は弾圧するというのでは、目をつむって走れというにひとしい。」
日本学術会議の「勧告」が今後どのように受け入れられるのか注視していきたいと思っています。