by ihst | 5月 16th, 2011
2011年は、国際連合で2008年末の総会で「世界化学年」とされて様々な取り組みが行われている。キューリー夫人がノーベル化学賞を受賞して100年目にあたる。この年に、図らずも、キューリー夫人が心血を注いで研究し、しかも平和を希求したウラン関連技術で、福島原発の大事故とはなんとした歴史の巡り合わせか。
日本学術会議の『学術の動向』2011年5月号は、「ノーベル化学賞と世界化学年」が特集され、基調的には「21世紀の化学の夢」の立場からの記事で埋まっている。これから見ると、原子力は、もはや「化学」から独立した分野になっているか、すくなくとも化学者は原子力を視野においていないのではないかと疑いかねない。投稿者の在職中の大学では、ある「化学工学者」が、投稿者主催の理工学系学生向け総合講義に来て「原子力は深層防護に守られ、炉内の反応係数もマイナスだから絶対安全」「大事故の起きる確率は隕石があたるより小さい」と力説し、「理工学系の学生たるものよ、キャンパスの外を歩いているおばちゃんと同じ知識レベルで原発に反対するのか」と恐喝めいた言辞で反り返った。原子力学会は、原発反対論者がすぐマスコミに「登場する」状況に一矢を報いたいためか、「原子力異常事象説明110番」のような組織を2010年から立ち上げ、また反原発と思われる印刷物の「摘発的行動」をとった。「政府と産業界から独立する」といいながら、科学的には論破されているラスムッセン報告を振り回し、学生を「威嚇」する研究者をどうみたらいいのか。
『学術の動向』のように、化学者の関心に原子力が仮にないとしても、「化学のあり方」、社会における「科学的知識のあり方」は、5月5日のNHK番組(ニュースウオッチ)での、あるノーベル賞受賞者のいうように、単純に「技術は経済や政治と関連している」が「科学は中立」ということで割り切れるのか、現在真剣に検討しなければならないのではなかろうか。
化学者、科学者の分野別分布を一つ見ても、かれら各分野の専門研究者は決して専門分野に等しく配置されているわけではない。社会経済・政治に左右されて、ある分野ではたくさん集まったり、本当は必要だが研究者がいなかったりである。こういう状況を「中立」といえるのだろうか。重要なことは、科学・化学的知識を同じ平面で見ないことである。学術会議たるもの、こうした点まで洞察した上での、編集があってしかるべきであろう。単にいろんな分野の動向を寄せ集めて雑誌をつくる手法は、あまりに編集が安易である。
世界化学年はまだ続く。さらなる取り組みを切望する。(投稿kmt)