by ihst | 1月 6th, 2012
既に旧聞に属することであるが、2010年のノーベル化学賞受賞者は、“有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング”に対し、「化学者の可能性を大幅に広げ、その結果、高度な化学物質、たとえば自然が創造したのと同じくらい複雑な炭素をベースとした分子が合成できるようになった」として、Richard F. Heck、根岸栄一 (Ei-ichi Negishi) 、鈴木章(Akira Suzuki)の3氏に贈られた。
この鈴木章氏が、「ノーベル化学賞を受賞して」と題して話をされている(『學士會会報』No982, 2012.1 pp8-22).これはストックホルムでの受賞時の様子や受賞対象を開設したものであるが、この中から3点・・・・
(1)受賞候補者として推薦したのは、恩師のパデユー大学のハーバート・ブラウン(ハイドロボレーション化学反応の発見で1979年ノーベル賞受賞)(少なくとも推薦者の一人)であったこと。もう一人の受賞者の根岸栄一もパデュー大学関係で化学科Herbert C. Brown特別教授
(2)受賞対象の鈴木カップリングは、特許をとっていないこと。(受賞の時のノーベルレクチャーで明かし、皆さん使って下さいと言って拍手をあびた。このことは、ウイキペデイアでも記載有り。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%AB%A0 時事通信社)
(3)受賞の重要な根拠となる、1979年の報告(「アルケニルホウ素化合物とアルケニルハロゲン化合物を、触媒パラジウムと塩基の下でカップリングさせると、全ての種類の共役アルカジエンを合成できる」こと)は、前年にある学術雑誌で掲載をリジェクされたという。
・・・・・・以下、コメント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記(3)は、科学史上よくあることで、先進的な研究を既存の枠組みでは理解されなかったということの一例を重ねたことになる。
上記(2)特許をとらなかったこと、は、科学者の社会における役割から見て重要なこととして留意されよう。なぜ取らなかったかは、別にして、今日、科学的新知識が私有物として機能する(特許はその社会的制度化)ことがどこまで許されるのかが、検討されねばならない時期に来ている。ips細胞の研究など、「一刻も早く特許を」とる競争の中で推し進められ、確かに特許制度は研究進展の一ファクターであることは確かであるが、他方、東京電力の「黒塗り手順書」に象徴されるような、技術的知識が私有財産である(ので公開する必要がない)こともまた問われている。科学的知識と技術的知識をどこで線引きするかの問題もあるが、大学政策として特許所有件数の多寡を大学評価の一要素とするような姿勢の中で、社会の中で科学者が何を研究し、いかに貢献すべきかは改めて議論すべきではなかろうか。
「特許を取る」という姿勢は、研究のターゲット・研究方法をも、ある一定の方向に誘導することも考慮しなければならないし、それは、必ずしも普遍的な知を求める方法論とは相容れない場合もあることを思い知っておくべきであろう。
ちなみに、ラジウム研究者のキュリー夫人は、放射性物質の知識は全人類に貢献すべきものとして特許は取らなかったことはあまりに有名な話である。
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Richard F. Heck、1931 年米国マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれる。1954 年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)よりPhD。米国デラウェア大学Willis F. Harrington 名誉教授。
根岸栄一、1935年中国長春生まれ。1963年米国インディアナ州ペンシルバニア大学より有機化学でPhD。米国インディアナ州パデュー大学化学科Herbert C. Brown特別教授。
鈴木章、1930 年北海道鵡川町(現むかわ町)で生まれる。1959 年日本国北海道大学より化学でPhD。H.C.Brown”Hydroboration”を読み1963-65パデイユー大学留学。北海道大学特別招聘・名誉教授。
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なお、Harbert C.Brown(1912.5.22London生~2004.12.19)がノーベル賞を受賞したとき、鈴木章氏は、Brownについて解説している。
鈴木章「Herbert C. Brown」『化学』化学同人編 34(12)1979.12 pp958-960 この巻号は「1979年度ノーベル化学賞」特集