by ihst | 2月 27th, 2012
東京工業大学は、戦時中の軍事研究の反省もあり、戦後いち早く教育・大学の民主化運動が始まり、戦後大学改革の先陣をきったことで大学史上知られている。科学や技術を国民の立場から考えていくという考えも広まったほか、原水爆禁止運動に関わる研究者も多くいた。その関係資料整理が数年前からすすめられていたが、本日asahi.comに紹介されている。資料の中には湯川秀樹博士からの手紙もある。http://www.asahi.com/national/update/0225/TKY201202250227.html
以下、asahi.comから。「核被害を前に、科学の知識を持つ者は何ができるのか――。58年前のビキニ水爆実験をきっかけに広がった原水爆禁止運動で、東京工業大学の研究者と学生たちの足跡を示す資料約300点が見つかった。原発事故で科学者のありようが注目されるなか、資料を生かす動きが始まっている。
資料があったのは、東京・目黒のキャンパスにある大学職員組合の倉庫。組合では、段ボール3箱が東京工業大学原水爆禁止運動協議会(東工大原水協)の「重要な資料」として引き継がれてきたが、中身はあらためられなかった。
今も地域の原水禁運動にたずさわる青木清さん(74)=東京都目黒区=が一昨年、その存在を知り、組合元委員長の道家達将・名誉教授(83)らと開封。ガリ版刷りの東工大原水協の設立宣言の草案や署名趣意書、会報などの資料を整理し、リストを作った。」
(提供 kkch)